岸田秀

あるときなどは、「先生はなぜ生きているのか、なぜすぐに死なないのか」と重ねて質問してきた学生もいた。こういう質問が出る前提として、人間が生きているのは生きるに値する価値のためであって、そのような価値がないなら死んだ方がましだという考え方があると思われる。わたしはこのような考え方こそおかしいと思うのだ。 ** 生きるための価値を求めるふるまいは、きわめてはた迷惑である。そのような価値は幻想にすぎないわけだから、心の底から納得できる確かな価値などあろうはずがない。キリスト教・イスラム教であれ、ロシア共産制・アメリカ民主制であれ、ユダヤ金融家・アーリア純潔者であれ、これらはすべて人々の価値体系の対立に起因するものである。相手の迷惑を顧みず、伝道や説伏をしようとする結果今でも起きている争いごとである。資本主義が成り立っているのも、一部の「悪辣な資本家」が「愚かで弱い」民衆を金の力で支配しているのではなく、民衆も金の価値を信じているからである。 ** ある理想の価値を信じている人は、その理想を共にしない人を軽蔑する。価値というものを信じている人々の態度が改まらない限りは、いっさいの差別の問題は解決しないに違いない。